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  • 2013.04.05 Friday
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原恵一監督講座レポ(3)河童〜次回作・メッセージ

2009年2月21日に東海高校で行われた、「サタデープログラム 原恵一 定番アニメの作り方」のレポート。今回でラストです!
(レポートと言いながらちょびっと自分で原監督の経歴紹介とかを付けたしたりしてますので、あしからず。今更ですが…)


『戦国大合戦』を映画クレヨンしんちゃん(現時点で)最後の監督作品とした原監督。
※その後も絵コンテは『伝説を呼ぶブリブリ3分ポッキリ大進撃』まで参加。

次の作品が公開されたのは、『戦国』から5年経った、2007年。
日本映画として、高い評価を得た『河童のクゥと夏休み』です。

原監督は『エスパー魔美』の監督をしていた頃、漫画原作以外の作品をアニメ化してみたいと思っていました。そこでいろいろな児童文学を読んでいた時に、この映画のもととなる作品を見つけたのでした。

しかし、原監督自身「作ることを夢にしようと思っていた」と言う程、実現は難しかったようです。

あるプロデューサーからは「金の匂いがしない」と言われたそうです。原監督は「誰も喜ばない企画」と自分でも思っていたのですが、それでも「地味なものにしたかった」「諦める気も無かった」のです。

では、どうして実現できたのか。それは、「しんちゃんのおかげ」だと原監督は話します。
『オトナ帝国』『戦国大合戦』を作った事から、「しんちゃん以外でやりたい事があるか」と言ってもらえるようになったのでした。
それでもクゥの話を出すと「他には?」と言われたり、なかなかノッてくれる人はいなかったようですが…。

つまり『戦国』から間が空いたのは、クゥの映画化を実現するのに紆余曲折あったからという事なんでしょうね。一概には言えませんが(笑)

そして、『河童のクゥ』がやっと公開されることになりましたが、原監督は、
「夢が叶ってしまった。夢は叶ったら嬉しくない。」「すごい喪失感でしたね…。皆さんも夢は叶えないほうがいいですよ(笑)」
と話していました。なんか原監督らしいと思ってしまいました(笑)。
「また(『21エモン』前の)旅行から戻ってきた時の気持ちになった」とも…。


2007年3月、シンエイ動画を退社した原監督。(これは『クゥ』を完成させた後って事ですかね…?)
1年半ほど、「ほとんど仕事はしていなかった」そうですが、「自分でうんざりしてしまって、仕事でもするしかないか…」と思い、(やっぱりマイペースというか…笑)現在は次回作の準備中だそうです。

原監督からは、
〇河童よりも地味。
〇10〜20代(特に女性)に多く読まれている小説が原作。
〇中学生が主人公の日常のお話(フシギ要素もちょっとアリ?)
…というヒントが与えられました。

今回は依頼があって初めて原作を読んだそうです。結構面白かったそうですよ。
また、「中学生にアンケートも取った」とおっしゃっていましたが、この原作を読んでいるか?というアンケートなのか、内容に関することなのかちょっとわかりませんでした。

現在は絵コンテを制作中で、タイトル発表もそろそろだそうです。楽しみですね!
(※この記事は映画『カラフル』公開前に書かれたものです)

ここまでで、本編は終了です。
次は、質疑応答コーナー!
(覚えてる限り書かせてもらいます。ちょっと曖昧な感じになってます…。
質問した方、間違っていたり、載せるのを辞めてほしいなど不都合ありましたらコメント欄からお知らせください…)

Q:CM会社でのエピソードを聞かせてほしい。
(この質問なんですが、『アニメーション監督原恵一』に結構載ってたからと、メモっていなかったせいで、ほとんど覚えてません…スイマセン。「CM会社の社長は自分の進む先を与えてくれた」って話をされてたかな?)

Q:『エスパー魔美』と『ドラえもん』の監督、演出の時期がかぶっていたのは何故?
原監督:過去のエピソードから引っ張って来ていたからそうなったのかもしれない。そんなにキツイスケジュールにはなってなかったと思います。

Q:アニメで表現できること、実写への興味について
原監督:アニメは確かにもどかしい部分もあります。生身の人間なら…と思うこともあるけど、アニメでやるからこそ価値があるんじゃないでしょうか。

Q:原監督の下で仕事がしたい!
原監督:自分も似たような事を言っていたのであんまり言えませんが…(苦笑)。「フリーなんで、決める権限はない」んです。
次回作も一緒にやってる茂木プロデューサーが作った会社があるんで、そちらへ…。


確か質問は4つだったと思います。
僕もしたかったんですが、司会の生徒さんがやけに時間を気にしていて、打ち止めにされてしまいました。
っていうか、2つめの質問ぐらいでもう終わらせようとしてましたが(笑)
原監督が「僕はまだかまいませんよ」と言ってくださったんで、多少延ばしたんですよね〜。

まあ、前半ちょっとゆっくりめでしたからね…。原監督も、子供達もいたからわかりやすく話そうとしてくださったのかも。


そして最後に、司会から「何かメッセージを」と求められ…
「ナマケモノでもアニメ監督にはなれるということです。」(笑)
続けて、
「こういう仕事は、自分のコンプレックスとか弱いところが役に立つ。」
「ダメな部分を無理に直そうとしない。ダメな部分を受け入れて、どうやって個性に変えるか。やっぱり個性は大事ですから」
と、素敵なコトバを頂きました。

原監督、ありがとうございました!


と、これで講座は終了。
で、監督のもとにサインを求める女性が…。

僕は「……俺も行かなあかん!」と思いました。
想定していなかったので、申し訳ないけど、持っていたレポート用紙を手に監督のもとへ。

前の女性は、しんちゃんを書いてもらっていました。

原監督:「せっかくだから笑わせておこう」(盗み聞き)
(…あーっ!しんのすけが正面向いて笑ってるーッ!!これは貴重な姿ですね臼井センセー!)

僕は舞い上がっていました。

(どうせなら違うキャラをリクエストしたい…誰にしよう…あ、オトナ帝国で原監督の思い入れが強かったケンチャコにしようか…!でも…周りに自慢するときに伝わり辛いか…!?ならば…!)

僕「あの〜、僕もサインいただいてもよろしいでしょうか…?」
原監督「いいですよ」
僕「ひろし、お願いしたいんですけど…いいですかね?(梨本勝の1億倍の恐縮)」
原監督「ひろしですか(笑)わかりました」
僕「うっほほ〜い!シュシュポポシュシュポポ!(実際には言ってません)」

描いてもらってる最中に話しかけるのはいかがなものかと思いつつ、僕「ひろし描くのはかなり久しぶりですか…?」
丁寧に描いて下さっている原監督「そうですねぇ…だいぶ」

完成!感動!
原監督、ありがとうございました!!(心では土下座で涙)

ホントはこの時、最近のクレしんについてとか、調子にのってお話させてもらおうかと思ったのですが、気づくと後ろには大勢のお子様達が…。

諦めて、改めてお礼を言って、僕は教室を出ました。

帰りのバスで、もらったサインをじーっと眺めては、ニヤついていたのでした。

おしまい。

原恵一講座レポ(2)『クレヨンしんちゃん』〜『戦国大合戦』まで

2月21日に東海高校で行われた、 原恵一監督の講義のレポートの続きです。
今回は、「クレヨンしんちゃん」スタートの頃からのお話からです。


『21エモン』の終了後に始まるアニメの監督は、本郷みつるさんでした。
本郷さんには別にやりたい作品があったそうですが、シンエイ動画側が決めた作品が、『クレヨンしんちゃん』でした。
このとき本郷監督は「半年もたせてくれればいいよ」と言われていたようです。
原監督は、演出として参加することになりました。

本郷監督は、コンセプトとして「簡単な絵で、わかりやすいものにしよう」としました。
それゆえに原監督は、「全然(やっていても)面白いと思っていなかった。」とはっきりおっしゃっていました。
しかし、『クレしん』は大ヒットし、毎週視聴率は上がってゆき、30%は超えなかったけれど、それに近い数字を記録しました。原監督は、自分がウケるとは思っていなかった『クレしん』がヒットしたことにショックを受けたそうです。

当時の子供たちはしんちゃんの真似をするようになり、「街中しんちゃんだらけになった」と原監督も思うほどの社会現象に発展しました。
このことについて原監督は、「矢島晶子さんの声によるものが大きかった。子供たちにとって、自分達の仲間がやってるような声だった」と話しています。また、現在のしんちゃんの声と第1回の時の声の違い、話すスピード、量が増えたことには、声優と刺激しあいながら作っていたから変化していったのではないかともおっしゃっていました。
アニメ自体も、最初はしんちゃんが何気なくやったことに、オトナたちが大騒ぎするというのがメインでしたが、次第にいろんな要素が加味されていきました。

1993年、『クレしん』まさかの劇場版が公開されました。第1作目の『アクション仮面VSハイグレ魔王』(原監督:「口に出すのが恥ずかしいタイトルばっかり」)は、本郷監督と絵コンテを分担して描き、演出を担当しました。
最初は普段は日常の、それも1つの家庭を舞台にした『クレしん』をどう映画にするか相当悩んだそうです。なんとか、劇中劇の「アクション仮面」を広げていくストーリーにして完成させました。
そして、この映画も大ヒットを記録。夏休みの公開中に、ゴールデンウィークに第2作を公開することが決まりました。これも誰も予想しなかったことだったようです。
第2作『ブリブリ王国の秘宝』からは、脚本を作らず、絵コンテから本郷監督と分担して作るというスタイルになりました。
その後、本郷監督が抜けて、1997年の『暗黒タマタマ大追跡』から劇場版の監督も務めることに。

しかし、1999年公開の『爆発!温泉わくわく大決戦』(原監督、この作品のタイトルを「わくわく温泉・・?みたいなタイトルの映画・・」と、ちょっと忘れかけてました(笑)。でも結構好きな作品なんだそうです)まで、興行収入は下がり続けていました。「今まで自分の趣味ばかりやってきたから当然」と原監督は思っていたそうです。
そして、「次の作品はちゃんとしんちゃんを主役にして、本当は子供向けは苦手だけど、子供のために作ってみよう」と決めたのです。
上映時間、期間も短くして、コストを減らして完成した『嵐を呼ぶジャングル』は、結果的に前年よりも成績がアップしました。

それにより、次の年も映画を続投することに。そしてついに、原監督にとって「転機になった作品」の、『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』、『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』が生まれます。

『オトナ帝国』は、当初は「作り始めて後悔した。これでは映画にならない」と思っていたそうですが、徐々に、真面目な態度で、誠実に自分と向き合って作っていくようになったのです。
最後のケンとチャコが飛び降り自殺をしそうになる場面は、最後まで葛藤していたようです。「子供向けの映画でやっていいのかとかなり悩みました。でも、映画としてはその方が良くなると思った」と、当時のことを振り返っています。ただ、「しんちゃん」じゃないものを作ってしまったという思いもあったようです。

『オトナ帝国』が完成し、スタッフ内の試写会が開かれました。このとき、エライ人達は結構戸惑っていたそうです。
製作に関わったスタッフからは好評だったようですが、「できちゃったものはしょうがないね」と言われたり、プロデューサーはTV局の人から「こんな不愉快な映画は初めてだ」と言われてしまったようです。

しかし、一般向けの試写会で原監督は、「意外と子供たちは飽きていなかった」のを見て、また、映画に出てくる古いものについて聞いている子供と、それを説明している父親の姿を見て、「いい風景だと思った」そうです。
原監督はそれを振り返り、「一般の人は、『オトナ帝国』も『しんちゃん』として見ていた。この時のことは大きかった。」とし、TV局の人が言った事に対し、「『しんちゃん』の枠をせばめている。作品を枠で考えるのはやめよう」と思ったのです。
結果、『オトナ帝国』は大人からも高い評価を受け、ヒット作になりました。

そして次の年、『戦国大合戦』。『オトナ帝国』のヒットにより内容の自由度も上がっていたので、原監督は、あまり子供向けではやらない、時代劇をやることにしました。
初めから「みんなに「えーっ」と思われるもの」を作る気だったんですね(笑)

その予想通り、又兵衛の死については周りも拒否反応を示したようです。しかし原監督は「そこをやらなきゃ意味がない」と思っていました。そこで、原作者の臼井儀人先生に聞いてみる事になりました。
すると臼井先生はあっさりと「これでお願いします」と言ったそうです。(後に臼井先生も徳郎さんの死を扱っていますね)
原作者のOKが出たのでなんとか話は決まりましたが、原監督は「決定後もぐちぐち言われた」そうです・・。

とはいっても、『しんちゃん』なので、ギャグは必要不可欠。原監督もそれは考えていたそうで、「シリアスとの切り換えが大変だった」とおっしゃっていました。ただ、「今までずっと子供向けのアニメをやってきたから、最近の大人向けや深夜アニメをやっている人よりは有利だった。」とも語り、「子供を喜ばせるという配慮が、作品のバランスをとるのに役に立った。」のです。

と、ここで、司会から『戦国』の実写化について聞かれていました。
原監督:「ずっと冗談だと思ってた。この間、山崎貴監督に会って、「ホントに作ってるんですか」と聞いて、「作ってますよ」と言われたから、本当らしい」
また、山崎監督と会う前に脚本が届いたそうで、「(『戦国大合戦』と)意外と同じ流れだった」とのことです。一応恋愛中心になってるようですが。
「もちろんしんちゃんみたいなヘンな子は出ません。」とのこと。それは良かった(笑)
また、タイトル(「BALLAD」)や、出演者(草なぎ剛、新垣結衣)の名前も出し、「是非見てください(笑)。別に俺(「僕」じゃなかったような・・)が宣伝することもないですが」ともおっしゃっていました。

(続く)

※この記事は映画『BALLAD』公開前に書いたものです

原恵一講座レポ(1)御本人登場〜21エモンまで

2009年2月21日、東海高校で行われた原恵一監督の講義のレポートをしていきます。



僕は一番前の列の端に座っていたので、何人くらい教室にいたかはあまり数えられなかったのですが、大体40人近くいたかと思います。途中から入ってきた人もいましたが、もっと来てもいいんじゃないか…?

客層は、一番前の列には20代くらいの女性二人組と、男性が僕含め2人。あと学ランの子もいました。
後ろには、親子連れや、小中学生が多かったです。30〜40代の方も何人かいました。


2時半ちょっと前、原監督が教室に入ってきました。
セーター生地のトレーナー(多分)にジーパン、マフラーとラフな格好。普段着かな。服装には無関心なんでしょうね〜。あとホットのペットボトルのお茶を持ってきていました。(講座の途中あたりには、キャップを開け閉めしたりしてイジってました。)
教室の小さいイスに腰掛けて、始まるまで静かに資料を確認されていました。

いよいよ始まります。
原監督の簡単なプロフィールを紹介した後、東京デザイナー学院へ入った時の事から始まりました。
一応Q&A形式だったんですかね。「当時どんな気持ちでしたか?」とか聞かれて、振り返りながらお話になる感じです。

司会があいずちを打つこともほぼなかったので、原監督も思わず、「ベラベラ喋っちゃってて大丈夫ですかね?」と心配になってしまったようです。
でもマイペースにお話されてましたよ。

基本的には、手元の資料を見ていましたが、時々客の方を見たり、笑顔も見せていました。
愛想がいいとは言えないかもしれませんが、ゆったりとした空間がただよってていい雰囲気でした。シャイな性格なんですかね。


さて、ここから内容に入っていきますが、ほとんど原監督のインタビュー本「アニメーション監督 原恵一」(浜野保樹編 晶文社)で語られている話ですが、少し書いてみます。(所々飛んでいる箇所もありますが、ご了承下さい)


東京デザイナー学院のアニメーション科に進んだ原監督。
卒業制作がかなり大変だったようです。
卒業後、アルバイト生活に入った監督は、なんとかアニメ界にコネを作ろうと、原監督自身が好きだった『ど根性ガエル』『ガンバの冒険』を作っていた東京ムービーの見学ツアーに申し込みました。
最初から見学が目的ではなかった原監督は、見学中に『ルパン三世』の当時の監督・御厨恭輔氏に「何とか入れないか」と直接申し出たのです。

御厨監督から放送の終わっている回の台本を渡され、「これの絵コンテを描いてきたら見てあげるよ」と言われた原監督は、とにかく早く描き上げ、自信も期待も無かったそうですが、言われた通り見せに行きました。

御厨監督は「本当に来るとは思わなかった」と言い、原監督の持ってきた絵コンテもパラパラとめくる程度で、ほとんど見ようとしなかったそうです。
しかも御厨監督は、東京ムービーの社員ではなく、フリーの監督だったので、「僕には採用するかどうかの権限はない。」と言われてしまいます。
それでも熱意が伝わったのか、何かあれば連絡してくれると言ってくれたのです。
原監督は、この時の事を振り返り、「今思えば、素人の描いてきた絵コンテなんか見たくないんですよ。それでも相手をしてくれて感謝しています。」とおっしゃっていました。

そして原監督の元に、御厨監督から往復ハガキで、CM会社の誘いがありました。
映像自体に興味があったので、その会社に就職することになりました。

しかししばらくして仕事へのモチベーションが下がっていき、それを社長に見抜かれ、「君はやっぱりアニメの仕事がしたいんだろう」と言われます。
そしてその社長から、シンエイ動画を紹介してもらうのです。
原監督は、「普通ならただクビにされるのに、わざわざ次の仕事を紹介してくれたこの社長も恩人です。ただほとんど連絡は取っていません。恩知らずですね(笑)」とおっしゃっていました。

23才でシンエイ動画に、周りに比べるとちょっと遅めの入社をしました。
演出志望ながらも、最初は制作進行を担当することに。
ただ、この仕事を適当にやっていては演出はやらせてもらえないと思って、真面目に仕事をしていたそうです。

1年経ち、真面目な仕事ぶりから、『ドラえもん』の演出助手を任されました。
助手は後処理(原監督いわく、「間違い探しのようなもの」)のような仕事がメインでしたが、当時のチーフディレクター(CD)が辞めたことから、助演出の一人→絵コンテ担当…と、いつの間にか演出にまでなっていたのです。


続いて、「自分も関わりたい」とプロデューサーに立候補して、『エスパー魔美』の監督に抜擢されました。
最初は、「数人いるうちの演出の一人になれればいいと思っていた」そうで、驚いたとのことです。

しかし原監督は、「監督だからって好きには出来ないんですよ。原作が藤子F先生の作品の中でも傑作なので、他の人と思いが一致しなくて、OA前からうんざりしていた」と語りました。

オープニングも直しが入れられ続け、電話で直しを聞いていたら、髪が逆立っていた事もあったそうです。「怒髪天って言うじゃないですか。アレは本当にあるんですよ。勉強になりました」というエピソードも(笑)
ちなみに、このオープニングは自分では納得できないものになってしまったそうです。


何とか『魔美』をやり遂げましたが、もう逃げ出したいと思っていた原監督は、会社に「旅行に行きたいんで休ませてほしい」と申し出ました。
最初は当然「何を言ってるんだ」となりましたが、何とか許してもらい、また戻ってきたら使ってやるとも言ってくれたそうです。きっと腕は認められていたんでしょうね。
しかし原監督自身は、「もう行った国に住むつもりだった」そうです(苦笑)。そこまで追い詰められていたんですね…。

旅行は、主に東南アジアを回り、「お金を巻き上げられ、子供のように無力だと思った」こともあったそうですが、非常に充実していたようで、その後も何度か訪れていたそうです。

そして帰国した原監督は、『チンプイ』の演出に。せっかく逃げ出したのに、また同じ事をしなくてはいけないことにかなりガッカリしたそうです…。

続いて、CDを担当した『21エモン』が、藤子アニメで最も短命で終わってしまいます。

そして、次に始まるアニメが、いよいよ『クレヨンしんちゃん』です!

(続く)

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